クリスゴアヒーリングスクール1-2

私の大きな願いの一つは
クリスチャンが大きな力の中を歩くこと

責任の一つは力のない教会に立ち向かうこと

神様は本当に良い方で
神様はご自身の考えを変える必要はありません
教会が考えを変える必要があります

原則を学ぶかもしてませんが
王の王であるキリストを知る必要がある

キリストにあって私たちが何者であるかを学ぶなら
勝利の中を歩くことになります

チャレンジを語ります

自分が用いられるのにふさわしくなっていないと
思うから力の中を歩めない人が多いです

もしあなたが用いられるのにふさわしくないと感じるなら
癒しが必要ですねと言います

私は用いられるのに十分だという人がいれば
その人にも癒しが必要だと言います

ただ子羊の血潮の故にふさわしくされているだけです

自分がふさわしくないという思いを打ち砕きたいと思います
それは偽の謙遜です
私たちが何をするかではなく
キリストが何をしてくださったかにかかっている

旧約聖書に用いられた人々を見ても
彼らの人生をみるとふさわしくないと言いたくなるような
人生を歩いています

500年の刑 死刑に定められるような
刑務所に行きました

そこで素晴らしい働きが起きています
私の息子たちがたくさんいます
ギャングのメンバーが質問しました
私は用いられるほどふさわしくありません

あなたはあなたがやってきたことを見て
相応しくないというんですよ

みんな過去はあります
ですが赦されています
どれだけ赦されているかを知るか

彼は盗んだので刑役についています
しかし血によって変わったと示されて
周りの人に福音を知らせイエスさまを伝えています

確かに教会の中で破壊されるべきものがある
私たちのパフォーマンスではなく
神様が何をされるかが大事です

神様に用いられた人がたくさん登場しますが

私たちが相応しいのはただ
イエスキリストの血潮のためです

信仰について

あなたの内側にいる方に信仰を置くことにより
より勝利の道を歩むことができる

もし勝利の中をクリスチャンが歩むなら
世界を変えることができる

宗教の中では私がどんなにひどい人間かだけ教え
父なる神と勝利を生きることは教えてくれなかった

ヨハネ14章
その日私が父にいることを知るでしょう

私たちがキリストにあって
私たちが何者かを知れば
もっと勝利を歩くことができます

私を通して神の力が働くのを見ないのはなぜかと
いう質問をするなら 自分の身分を悟ってない

私自身という考えでは癒しは起きない
イエスキリストを人生に受け入れた
もはや

ガラテヤ2章20節

私の中に生きているのはキリスト

キリストが私の中に生きている

人生を明け渡した瞬間
あなたの中にいる私という人は
十字架につけられました

イエスさまはあなたを救うためではなく
あなたを殺しに来た
あなた自身から解放されるため
あなたを殺す必要があった

キリストはあなたのために死んだだけではなく
あなたになって死んでくれた

まだ死んだはずなのに勝利を歩いていない場合がある
それは宗教の中を歩んだから

宗教の中で日々死につつあると教えます
肉には罪深い性質があるので
毎日死に渡さなければならない

聖書のみ言葉を十分に
おしえられていないから
罪深い人が残っていると考える

しかし聖書には
その性質はイエスと共に十字架につけられた
ですからこれから殺し続ける必要はない
既に死んだのです

あなたが毎日何とか十字架につけようとするなら
信仰を持ちながら罪の中を歩くことになる

既に死んだものだということを受け入れてください
ここに良い知らせがあります

キリストと共に十字架につけられただけではなく
キリストと共に復活されたのです

キリストはあなたとして死にました
キリストに会って新しく作られた人になりました

かつては私の中に住んでいる私でした
しかしその私は十字架につけられた

私がよみがえったとき「私たち」になった
キリストと共に一つにされたのです

キリストとの結合に歩くことを知らないため
力の中を歩めない
あなたは神から離れることはできない
キリストと一つになったからです

教会はこの概念を受け取る必要があるが
教会はこの外をぐるっと歩いている

あなたはもはや罪人ではなく
全く新しい性質を引き継いだ人です
贖われ買い取られ

恵みによって救われた罪人という
謙遜にされると思っていますが

生まれ変わったとき聖徒になりました

ただ恵みによって救われた罪人だと
言い続けることにより
聖徒であることと混ざることがある

それは謙遜ではなく分裂症です

ある時は罪人だと思う
しかしもはや生徒である

罪人というアイデンティティをもって
罪から救われず不思議だと思うかもですが
罪人だと思うから罪を犯すのです

1ヨハネ3章

キリストにあって新しいものにされている

キリストは罪も病気もなく勝利者で
破産者でもありませんでした

キリストがそうであるように
あなたもそうであるべきです

手紙に14回罪人と出てくるが
キリストを信じていないものだけです

過去のアイデンティティと
今のアイデンティティを分けなければいけない

本当のキリストにあるアイデンティティを
知り始める時

キリスト教徒は罪を管理する
プログラムではない

あなた自身は罪に対して死んだものとみなしなさいと
パウロは言った

キリストのように
私もそのような存在になる

私には友達もたくさんいますが
敵もたくさんいます
悪魔は必要ありません
教会だけで十分です

あなたを憎みますという人がいる
あなたは罪を犯すライセンスを人に渡してないかと言われたが
あなたはライセンスがなくても罪にいるんじゃないですかと
返そうとしたが返信しなかった

そうではなく罪から解放しようとしているのです

2コリント5章
イエスにあるなら新しく作られた人

あなたはかつて罪人でした
今は違います聖徒です

古いものは過ぎ去った
過去があなたの未来を決めるのではなく
イエスがあなたの未来を決めます

ヨハネ15章
あなたは枝です
私はブドウの木です
実際に実を付けるのは枝です

イエスさまはあなた方はそのようなものだと
言っているのにどうして受け入れないのか

枝になろうと一所懸命になるが
既に枝なのです

イエスはどうしたら枝になれるのかを教える方ではない
イエスはあなたの鏡

ですが宗教は頑張ればいつか聖徒になれるよと言います

創世記3章7節

キリストにあって私たちが何者かという
アイデンティティなくして癒しは起きません

いちじくの葉でおおいをつくった
他に聖書でイチジクについて書かれているのは
イエスが呪った

イスラエルを呪われたのではありません

いちじくには自己義という意味がある
イエスさまは自己義を呪われたのです

いちじくの葉のおおいについて
言語を見ると本質的なものを隠すとある

エバはビキニを作った
アダムはパンツを作った
自己義というものの葉でです

自己義で自分を隠しても何の力もない
しかし教会はそうするよう教えることがある
自己義に頼ってキリストの前に
大胆に出ようとはしていないだろうか

私は大胆に神の前に出ることができる
それは神が義としてくださったからです

良い人が正しいことをしたからと言って
義人になるわけではない

正しい人が不義なことをして
不義な人になるわけではない

クリスチャンでも罪を行うことはあるが
罪人に戻るのではない
古い自分のアイデンティティにより
罪を犯すことはある

聖徒だけど時に失敗はする

罪人としてのアイデンティティを持つわけではない

じゃあ私は聖徒だから
いくらでも罪を犯していいと思うかもしれない

そうしたらあなたは本当に救われた?と
質問しなければならない

罪の葛藤を覚えることはほとんどない
ここから去って悪いことをすることはない
罪に対して死んだものであり
キリストにあって生きているものだからです

アダムとエバは自己義という服を着ようとした

彼らは神様から隠れた
もし自己義で隠れるなら
神から逃げ続けなければいけなくなる

神様は全てをご存知なのに
どこに行ったと言われました
自分たちの格好が恥ずかしかったから隠れていた

しかし神様は動物の皮で服を作り着せてくれた

動物の皮は動物が着てました

肉になるものは殺さなければいけない
スモーキーという豚を飼っていた
ジョニーという羊を飼っていた
しかし彼らは食卓に乗りました

ニュージーランドは5%が人で95%が羊で
羊の殺し方をよく知っています

首を切ります
皮をはぎます
それが羊の皮です

日本人はよく羊の皮を買っていきます
どうぞ買ってください

神様は羊を取り殺しました
神様はベジタリアンではないと思います
この獣は羊と信じられる理由があります

殺すとたくさんの血が流れます
大変な状況になります

神様が羊を屠られた時
その皮は血でまみれていたはずです

神様はアダムとエバはその皮の衣を着せてくださった

着せてくださったという言語の単語を調べると
完全に全体を覆い隠した

それはイチジクの葉っぱのような隠すのとは違う
それは部分的にしか隠せない 自己義です

主ご自身が子羊の皮を使い
全体を覆った

子羊の血でおおわれたのです

私たちも子羊の血潮と皮を着たのです
であればどうして自己義のビキニを着てるかのように
ふるまうのでしょうか

2コリント5章
あなたは新しく作られたものです
新しいという言葉はこういう意味があります

決して今までに作られたことがない形

あなたは何かクッキーの型のようなものではなく
あなたはユニークに新しく作られ
新しい義とされました

神が造られた原型なのです
神により義となりました

彼らは自己義のビキニとパンツで主の元に来ました
彼らは子羊の血で覆ってくれた
それはイエスキリストの義の象徴です

他の考え方で語ります

ノンクリスチャンとして
ビキニを付けてイエスの前に来ます
体も傷ついています

神様は
息子よこのパンツを脱がせて
子羊の血で覆います と言います

あなたの人生を自転車に例えましょう
自転車はボロボロでよくない
壊れています 塗装は剥げています
何かねじれています

イエスのところに来るとき
パンツを取って良い服を着せてくれた

自転車も直そうと
塗りなおして部品交換をします
良い部品に変えていけます

良いものになったからここで
過ごしなさいというなら

新しく作った原型というのとは違います

このように 古い自転車を直して
乗っている人がいます

あなたは古い創造物でただ直されたものではなく
イエスキリストに新しく作られた者です

まだ古い自転車に乗っている人がいます
しかもまだビキニを着て古い自転車に乗っている人もいる
どうして勝利者として歩けないのかと言います

古い自転車を捨てて
フェラーリに乗っていくのです
全く新しい創造物として生きるのです

そうでなくてはイエスの贖いは完成しない

まだ古い自転車に乗っているなら
あなたがまだ何者か悟っていないのです

神の義となったことを信じる人が日本に必要です

自分の正しさではなく
イエスキリストの義です

私たちのパフォーマンスではなく
キリストが何をなさったかです

私が何をしたかではなく
キリストが何を支払ってくださったかです

なぜ力の中を歩けないのか
ビキニをつけている
古い自転車にのっている

私は遺伝子の勉強をしました
医者にも質問しました
聞くたびに違う答えが来ました

赤ちゃんが受け継ぐ血はどこから来るのか

母親のおなかの中で赤ちゃんと母の血が行きかうことはない

では血はどこから来るのか

母の血と赤ちゃんの血が混じると問題がある
そんなことが起きたら注射をして血を抜く必要がある

赤ちゃんの血を作る遺伝子はどこにあるのか

医者は同じ答えを返さなかった

血は父親から来るのです

父親から血を受け継ぐのだとすると
マリヤは処女でした
ですからヨセフの血を受け継いでいない
ただ天の父の血だけです

ですが生まれ変わるというのは
このことを意味しています

アダムとエバの血筋から取り去られ
イエスキリストの血筋になるということです

あなたはもはやアダムとエバの罪の血筋のものではありません
聖徒の血のものになりました

今まで自己義に頼っていたが
キリストの義に頼るものになった

自己義のパンツをはいたまま
自己義に頼ったまま
神の前に出ることはできない

妻に25周年の時に
一度でも離婚したいと思ったことはあるか尋ねた

離婚したいと思ったことはないが
殺したいと思ったことは何度もあると言われた

話を戻しますが

刑務所に奉仕に行ったとき
白いワイシャツと白いズボンを着ていた

私自身は白いものを着てきてはいけないと言われた
暴動が起きた時誰が逃げたかわからないから

その人は3人を殺し
たくさんの女性をレイプした人だった
それは過去の人生で
イエスさまを知り赦された

神によって赦されたので神の義となりました
彼らは赦されたことを知っている
驚くべき人となっている

神は私に語られた
あなたの自己義と目の前にいる人の自己義が
どれほど違うと思いますか

殺しをしてレイプをした
その人の自己義もあなたの自己義も
私の目には同じように汚れている

裁きの時 無実であると裁くこともある
あなたはそのように言い渡されます

神の息子娘として歩むことになります
被造物はうめくようにして
神の息子娘を待っていると書かれている

これが神の福音の力です
私が分かち合っているのは福音そのものです

多くの教会でこのような幅員が
語られなくなっています

罪責感を持つような教えをする教会もある

牧師が高い地位を保つために
罪責感を植え付けようとする人さえいる

神の民全体が立ち上がる時です
牧師のことではありません
教会全体が立ち上がる時です

最も大きな奇跡は子供たちが起こしている
子どもたちは神の義をよくわかっているから

子どもはそのままを信じます

ミサを開く時間があった
私はミサにあずかることはできなかった
違う部屋で違う聖餐式にあった
子どもと一緒にその部屋に閉じ込められた
私は日曜学校の先生ではないので
そのまま福音を語った

イエスさまを知りたい人はいますか?
全員が知りたいと言った

彼らと一緒に祈った
今夜私のミッションの時間に
あなたがたがミニストリーに来てといった

学びの場であるのに少数の人しか
祈ることができなかった

10年たってないが
牧師に何をすればいいかと言ったら
他の教会に行ったらいいといった
信徒たちが働くことを喜ぶ教会にね

夜の集会にミニストリーチームの人出てきてください
と言ったらあなた方が出てきてくださいと子どもたちに言った

いつか働くという嘘を信じないで

集会に出る人はいますか?25人中20人が手を挙げた

21時~23時の集会でした
23時ごろ来てくださいと言ったら
子どもたちが出てきた
大人は不思議な顔をしていた

子どもはミサにも参加していないし
勉強もしていない

子どもたちを通して癒しが起こりますと言った
耳が聞こえない人を癒します

子どもに言った 何をすればいいかわかります?
わかりませんと答えた

私もわかりませんよ安心してと言った

123と数えるので
耳よ開けと言ってください

神があなたはそのような存在ですよと言ったら
子どもはそのまま信じるのです

子どもは イエスのみ名によって耳よ開きなさいと言った
その集会で100人の耳の聞こえない人が癒された