天国文化と幸いな人生 2日目-1

簡単なエクササイズがあります

昨日大切なことをピーター先生はわかちあいました
御自分の席に座ってやっていただきたいことがあります

2つの質問に対する答えを分かち合ってほしい

昨日来た人は初めて聞いたと思ったことは何でしょう
1つだけ分かち合ってください

心の中でたぶん真理じゃないかと思っていたけど
やっぱりそうだったと確認出来たことを
1つだけ分かち合ってください

たくさんあるかもしれませんが
昨日参加した人が聞いたことから
分かち合ってください

—–

後から学んだことをフィードバックしてください

昨日の両方のセッションに出た人はいますか?
良いことです

昨日の話を土台に深めていきます

神様の御心に従って
全世界の神様のご計画の中の
日本の役割について話していきます

それが終末とどう関わっていくかも

キリスト信仰の中心
バランスを欠いているので
回復しなければいけない

信仰と行いの緊張関係とそのバランスです

信仰と行いは一つの真理の両面を語っているということが
この話の後にわかると思います
救われるためには両方が必要で
片方だけで立つことはできません

昨日の話の中で一番
主エジプト19:5-6

国家としてのイスラエルの召し

イスラエルの召しについて
パウロは語っています
ローマ11章
賜物と召命は変わることがない

イスラエルをご自分に遣えるために
召したことの考えは変えるつもりはない

個人の召しとそれに対する応答

生まれる前に決めておられる
計画を変えるつもりはない
あなたが従うかどうかで
あなたには自由が与えられている
それは神に似せて作られた自由で
選択をするという責任がある

召命と賜物について
お考えを変えるつもりはない
それは良いニュースでもある
もし私たちが失敗をしても
神は私たちを捨てないということです

倒れたとしても神は
考えを変えていない

腕を捻じ曲げてでも
ご計画を達成させようとはしない
稀にしか行いません

イスラエルは国家として選ばれた

神様の見方では
御国とは社会でもある

社会には大事な宗教的な部分が
なければならない

でも宗教は神の御国のあくまでも一部

社会のあらゆる部門から私たちを召し出す
御自分の御国を社会に注ぎだしたいから

もしあなたの社会に
水曜日の午後3時半に日本橋に
再臨するとしたらどうしますか?

イエスさまが再臨して歩道に立つのです

人々は速足でオフィスに向かい
車は行きかう
ほんの一握りの人がイエスさまに気付き
彼を囲む 何をしているんですか?

私は帰ってきた
私の民はどこにいる?

水曜ですよ?水曜の午後です
みんな忙しいです
誰からも聞いてないんですか?
主よ 水曜日はやめてください
日曜の朝に再臨してください
日曜の朝じゃないと困ります

牧師もワーシップチームもいますよ

と 笑い話ですけど
多くのクリスチャンが
そういう生き方をしているということです

宗教的な部分だけを治めるため戻ってくるのではない
単なる宗教的なものではなく
政治的な変革です
地上にも大きな影響があると思います
世界の終わりですよ?

王権のためにイエスさまの国家を準備する
それがイスラエルなのです

信仰の土台にイスラエルを据えることができれば
教会は新しい建築 構築をすることができる

イスラエルがおさまるべきところにおさまったら
教会は
イエスさまを設計するものとして使われた
賢い設計者

聖書はギリシャ語を翻訳しているわけですが
アーケテクトン

アーケ master
テクトン 建築者

アークエンジェルも同じ使われ方

所有者ではないです
ビジョンを持っているのは所有者です

建築家は所有者からビジョンをもらう
相談して建築家が建築者に伝えて建てさせる

パウロは自分のことを建築者だと思ってくれと言っている

後の人は気を付けてと言っている
土台は私が建てたが
コリントの人に警告している

土台はイエスキリストだが
エペソの人々に礎石であると言っている

角の角石は大切で
これがずれるとすべてがずれる

土台は預言者や使途だと言っている
今日使徒的であるとか
使徒的であるといわれる人を言っているのではなく

使徒とか預言者というのは
特定の人を考えています
theがつく
旧約聖書に出てくる特定の
預言者たちのことを言っている

theを付けて使徒と言っているのは
特定の人です
個人的にイエスさまと歩いた11人です

パウロは自分も使途に加えられたと言っている

theがつくとき特定の人

イエスキリスト 使徒 預言者
共通するのは何でしょう
イスラエルから来ているということです

偶然でしょうか

イスラエルをセメントのように考えるといいと思います

教会での職業であれ宣教であれ
これが土台になっていなければならない

召命と賜物を見つけて実践してください
実を結ぶということです

そこは大事なのでもっとフォーカスします

良い働きと死んだ働きには違いがある

神様のために何でもいいからやって
それが認められると思ってはいけない

土台の上に金銀宝石と木やわらと
どう見分けることができるか

生きているか死んでいるか

エペソ2:8

神からの賜物です
行いによるのではない
誰も誇らないためです

2:10
良い行いも備えられている
この聖句は鍵です

神はあなたに計画をもって夢を持っている
その実を結ぶことを期待している
しかも情熱まで植え付けてくださっていて
人生に情熱が出るようにしてくださっている

それをあらかじめ備えておられるのです

実は私が知らなかったのは
それをエクササイズで使うことでした

生きた行いとは
生まれる前からあなたにしてほしいと
願い計画したこと

死んだ行いはそれ以外のすべてです

あの人を喜ばせ
その人を喜ばせようと
行うものはすべて死んだ行いです

ある程度収入を与え幸せになるかもですが
神様の前で申し開きをするとき
神様にとってそれは関係ない

神様の目的以外をしてもいいのですが
忍耐と愛の方で待ってくださるが
賜物と情熱に火が付くことはない

その歩みに入れば喜びが来ます

神様の顔に微笑みを見るには
永遠の王国に向かい入れられるには
信仰と行いの両方が必要です

信仰も必要ですが
あなたが自分の手で生みだした
何かをもっていかなければならない

2つの救いのメッセージがある

1つは主に異邦人に書かれている
パウロによって書かれた手紙に特徴づけられる

パウロは異邦人の社会に遣わされたイスラエル人です

トルコ マケドニア ギリシャ
異教徒に手を差し伸べた
悪霊や石を拝む人で
神という意味も分からない人々です

彼らに神に認められて神の国に
入れますよという許可が与えられた

ユダヤ人はみ言葉をいただいて1000年たっています
ユダヤ人は長くみ言葉をいただいている

ユダヤ人には正しく理解することが
期待されている

異邦人に対しては
それを知る必要はない
ただ信じてくださいと言っている

信じるならその信仰により
神の国に入り
1000年神と歩いたユダヤ人と
肩を並べます

異教徒ではなく神の国の信徒になります
神は恵みを注いでいるのだから
ただ信じてください

これは完ぺきな救いのメッセージです

伝道者の後に暗殺者がついてくれば
そうなります

告白したとします
暗殺者が来て撃ち殺したら
心配ない 即神の国に入る

しかしそうならないのが問題です

信じます 神の国に入ります
そして生きなければいけない
仕事もしなければならない
神様助けてください

罪も犯すし間違えもする
救いは一生の者です

今から始まる永遠の人生ですが
この地上の命も含まれるわけです

もしあなたが殺人者で救われたとする
その後も殺人を続けたら(それが仕事だから

そのままでは神の国に入れません

一旦神を受け入れたら
そのままでいいなんて言えるでしょうか

そんなのは家を売って玄関の
ドアだけを与えるようなものです

家はどこですか?
生涯住むことができる家を買ったつもりですが

ドア大事でしょ?と言っても
家が欲しいですと言われます

ピリピ 恐れおののきつつ
自分の救いを達成しなさいと書いてある

彼らの任務 ドアをくぐらせる
だから彼らはそれを達成しました

相手がユダヤ人になったら
全く違うメッセージが出てきます

あなた方は結ぶべき実を結んでいません
実はどこにあるんですか?

いちじくを呪いました
呪った木は枯れた

いちじくの何が悪かったか
実がなかった

行いがなかった

新約聖書の中にある
ユダヤ人への福音を提供したい

私たちに与えられているみことばから
どう生きるかがいかに重要か
神の国に入りたいならですね

良い行いと死んだ行いの違い

神様のために何でもいいから
しようと思わないでください

ルカ10:25
良きサマリヤ人

ラビ(若い律法学者)
どのようにしたら救われますか?

イエスは質問で質問に答える

あなたはどう読んでますか?
聖書になんて書いてあるか
あなたは専門家なのだから

神を愛せよ
隣人を愛せよ

ここで613の命令から2つを選んでいます
レビ記 申命記からです

イエスさまもこの2つを選んでますよね
マタイ22章でこの2つにかかっていると
イエスさまが言っている

若いラビがそれを聞いていただろう答えを言っている

その通りです それを実行しなさい
そうすればいのちを得ます

イエスは信じなさいとは言っていません
このラビは当然信じることは期待されている

強調点は 信仰ではなく行動・実践に
重きを置かれている

ラビは自分の正しさを示そうとして
さらに質問をする

では私の隣人とは誰ですか

海抜700mにエルサレムはある
エリコは海面下40m

坂を下りていくとユダヤの荒野で
天候が変わる

バスで行くとここが
海面の高さですと書いてある

イエスさまが言ったのは長い坂を
降りていくという話で
盗賊いるし危険な道です

そこで襲われ半殺しになった人がいる

祭祀はここに来て正しいことは何かと考える

もしこの人が死んでいたら
夜までけがれてしまう
祭祀の仕事ができない

決断をします
その人を避ける

そして頭の中で僕は
正しいことをしたと考えるだろう

今でもユダヤ人の大祭司の家系は
友達が死んでも葬式に出られない
家族の場合だけ例外的に出ることができる

次にレビ人が来ます
祭祀です

彼も同じことを考えただろう

何よりも神に仕えることが
正しいと思っているに違いない

だからその人を避ける

サマリヤ人はユダヤ人から憎まれていました
ヨシュアの時代 12部族から分かれて出たからです

彼らは聖書の一部だけが神から出たものだと信じる人で
サマリヤのゲムジル山で礼拝するものだと
思っていたので異端者です

イエスは井戸でサマリヤの女にあい
彼女の考えを正した
ヨハネはそれを記録した

ユダヤ人はわかって礼拝している
何故なら救いはユダヤ人からくることを
わかっているからです

ラビに教えるために
あえてサマリヤ人を使う
間違えた信念を持つ人です

全てのユダヤ人は
サマリヤ人は正しくないと同意する

しかしそのサマリヤ人はすぐ
憐みを覚えて躊躇せずに
倒れている人のところに行き
息をしていたので助けて
ロバに乗せて宿につれていき
お金払うから見てくれという
もっとお金がかかったら支払うからと言う

3人のうち誰が怪我をした人の
隣人になったでしょう

憐みをかけた人です

サマリヤ人と言いたくなかったのかもしれません

イエスさまは同じようにしなさいと言われた
信じなさいとは言わなかった

サマリヤ人の信じることはしてほしくない
でも行いはしてほしいのです

「どうやったら天国に入れますか」
という質問だった

ここでは信じることが良い行いを
妨げていることが示されている
これを理解するのはとても重要

神があらかじめ備えた
良い行いをしていないと言っている

全聖書をいただいて2000年が経ちました
マウスクリック1つで注解書が
無料で読めるようになりました

正しいことが信じることができないという
口実はありません

エペソの人のようになってしまった
且つては除外され望みもなかった
クリスチャンには光があり
真理を知ることが出来る時代

土台の中に据えてほしい
最初居心地が悪いと思うだろう

神様のために正しいことをする
ということは選択の余地がない

その家に住みその家を建て上げなければいけない

マタイ25

マタイはユダヤ人に向けて書かれた
25章は24章の次に来るから重要です

24章は再臨や印について弟子が聞く
25章に入るともうすぐこの関係が終わることを感じ取れる

25章には力強い教えが3つ
すべて同じテーマ
再臨と裁きと永遠の報いというテーマです

おそらくオリーブ山の24章の続きだと思う

最初は賢い娘と愚かな娘の話

花婿が来るのを待っていた
ともしびをつけていたら
花婿といっしょに行ける

5人はすぐ来るかもだし
時間がかかるかもしれないから
油は余計に持っておこうと考える

他の5人はすぐ来るだろうと
今だけのものを持っていた

花婿は来ない

余分に持っていた人に
分けてくださいという

そんなことをしたら
私たちの分もなくなってしまう
自分で買いに行ってくださいという

町に行き買おうとする
その間に花婿が来る

5人の娘が戻ってきても
入ってはいけない帰ってくださいという

この10人はみんな同じことを信じています
ともしびがともっていたら
花婿といっしょに行ける
みんな花婿と一緒に行きたいと
考えていた

花婿を信じていた
全員信者です

賢い娘は賢い決断をして
別のことをした

ユダヤ人の福音へようこそ
永遠に私たちが行うことです

次はタラントの話です

5タラントは相当な額です
2タラント
1タラント

それぞれの能力に応じて
与えたと書いてあります

旅から帰ってきて
管理したものの報告をしてくださいと言う

こんな大金は見たことがなく正直怖かった
しかしマーケットプレイスに出ていき
信頼できる人のネットワークを作った
見てください 5タラントが10タラントに
倍になりましたよ!100%増えたのだから
悪くないですよね

よくやった 良い忠実なしもべだ
私が与えた少ないものを忠実に守った

主人と喜びを共にしてください

再臨と裁きと永遠の報いについてです

どうして2タラントだったのかわかりませんが
とにかく私もマーケットプレイスに行き
一生懸命働き信頼できる人の
ネットワークを作り4タラント
倍にしました 100%にしました

よくやった 良い忠実なしもべだ
同じことを言われる

1タラントの人
主よ 私はあなたとは違います
あなたはずる賢い方だ
市場が下がっているのにそこから
儲けを取ろうとしている

私は怖かったので埋めておいた
それはここにあります
同じものです 失いませんでした
盗みませんでした
あなたがくださったそのままを
お返しします

役に立たないしもべは外へ追い出してしまいなさい

皆さん ユダヤ人の福音へようこそ
30倍60倍100倍にすることを
期待されているのです

神様はあらかじめ良い行いを備えてくださっている
トップに立つことが出来るのです

どうして世代から世代へ
ただ信ぜよ これとこれを祈って
週に1回2時間だけここに座ってください
と教えてきたのか

イエスさまに微笑んでほしければ
イエスさまによくやったと言ってほしければ

微笑む前に何か質問をするのではないでしょうか

私が恐れるのはクリスチャンが
その場に立って
何をすればいいんですか?
そんなこと知らなかったです
そんなこと言われませんでした

何かをする?どういうことですか?

イエスさまが 誰がそう言ったんだと
牧師がそう言ってました

牧師がまず取り扱われますね

教師や牧師が厳しくさばかれると
書かれているのはこういうことです

教えないのは真理を語ったら来週から
礼拝に来なくなるという恐れからですか?

ユダヤ人の福音は一貫性があります
旧約聖書のもう片側です

我々はそれを読まなかったり
教えなかったりします

それが出来なかったら
神の国をもたらすことはできません

何百万祈ってきた国家的覚醒を
見ることが出来ません

祈った後出ていかなければいけない
一生懸命働いて社会に出なければいけない

そうしたらあなたを頭にするのは
神様の責任です

まだ賜物と召命がわからない
どこからやればいいかわからない
という人もいると思います

そういう人のために
3つ目の教えを含めたのだと思う

省略して話しますが
32節 羊とヤギとに分けて
羊に御国を継ぎなさいと言う

最も小さい人に水を飲ませたり
食べ物を与えたり服を着せたり

自分より小さい人をどう扱ったかに
イエスさまは興味がある

隣人に気を使ってください
探さなくてもそこにいるのが隣人です

自分より少ないものを持っていて
助けようとすれば助けられる人がいます

もしあなたがそうするなら
もっと世界を広げてあげますよ

そしてよくやった 良い忠実なしもべだ
主人と喜びをともにしてくれ

ヤコブの手紙1、2
2:14 信仰があっても行いがなかったら
何の役に立つでしょう

意図して新約聖書の聖書個所だけ引用しました

新約聖書は私たちの聖書です
旧約聖書だけ切り落としたって
新約聖書はクリスチャンに向けて書かれている

み言葉は神の霊感で書かれていると
いうだけではなく信じています

ということは

ヤコブが語っているのではなく
神様が語っているのです

誰かが自分には信仰があると言っても
行動が伴っていないなら「いいえ」です

信じるものは私たちを
罪に定めるためにではなく
自由にするためにあります

何かを達成したい
何かに価値を見出したい

そういう人たちに信じて座っていなさい
その座る人を増やすことが
成功だと思っているのであるなら
実を結べません

出て行って行いをするのを
見なければいけません

実をもって
技術者になれる
ビジネスマンになれる
実業家になれる
起業家になれる

信仰と仕事は両立できる

聖書的福音を回復しなければいけない
選択の余地があることではない
どうしてでも見つけなければいけない

宗教的プロ(牧師)は
それを助けなければいけない

何故なら私の裁きと報いは
あなたがたの成功にかかっている

実を結びなさい
実を見せなさい

それがわかると私たちは
気が狂ったかのように成長します

あの人たちすごい!となる
なんかわからないけどあの人たち最高
なに信じているか知らないけど
あの人たちのようになりたい

みんなが聞きに来る
どうやってるんですか?

あなた方の光を輝かせなさい

良い働きを見て
天におられる父をあがめさせるため

整えて達成させていく
そうすると神様は
強くて達成する人を与えてくれる
それは私たちが弱い人を助けるからです

他の社会からうらやましがられるように
どうやったらそこに入れますか

神様はすべての人をケアしている
そこには主の喜びがある
情熱がある
自分たちがやっていることが楽しい
死にそうになって働いているのではない

どうやったらそう生きられるのですか?と
未信者が聞きに来なければいけない

黙示録19:6-8

麻布は聖徒たちの正しい行いと書いてある
信仰とか説教じゃありません
行動 実際に行ったことです

この種を心の深いところに
植え付けてくださるように祈りましょう
過ぎ去ることなく実を結ぶように祈りましょう

良い行いを見出す動機付けになるよう祈りましょう

私たちは永遠にイエス様と共にいたいという
良い行い賜物召命を見出すことを

それを行うと誰もあなたを止めることが出来ない
どんな敵もあなたを止めることはできません
山もどきます
生まれる前から決まっている
永遠の命なのです

小さな信仰を持っているだけでも
山は動きます
全てのクリスチャンがそのような人生を見出してほしい