神様の仕事と私たちに出来ること

昨日の日記で イエスさまのために
何かをしたいのに と思ってしているのに
結果としてそれを神様が私への恵みと祝福へと
変えられてしまうということ

また イエスさまとの一体感が
実感出来ないということを書きましたが

それがどういうことであったのか
答えを今日 教えて貰いました

まず 私たちが自分達の考えで
神様のために出来ることとなんていうのは
何一つとしてないということ

私たちに備えられた良いことというのは
神様が備えて下さっているのであり
それをやることは 神様のご計画のためであり
私たちが神様のためにすることではない

言うなれば 私たちはそれをやれば
働いたことに対して報酬が貰えるし
やらなければ他の人のところに
その仕事が行くだけだという類のもので

神様のためにやることではなく
むしろ 私たちのために備えられた
報酬を得るための仕事だったのです

それを 無償で神様のために
捧げようとしていたから
感覚がかみ合っていなかった
むしろ 報酬を受け取ることを喜んでくれる方が
与える側(神様)の喜びだと示されました

そして もし私たちに神様のために
出来ることがあるとしたら
神様を賛美することと
互いに愛し合うことだけだと示されました

神様に対して私たちが出来ることは
愛することと 賛美することだけ

逆を言うとそれ以外に神様に必要なことは
何もないということです

神様は 肉体を持たず
物質的な必要は何もない

この世において 神様の必要は何もない

ただ ご自身が愛する者たちに
愛を注ぐために 時には
肉を持つ私たちが必要になる

その部分を担う以外に
私たちが神様のために
出来ることは何もないのです

神様の愛を届けること
神様の思いを届けること
無償の愛で 互いに愛し合うことは
神様のために出来ることです

しかし それと「仕事」は別である
宣教のため 伝道のために働くこと
それは「仕事」であると神様は示され

そこには働いたものに対する報酬があり
働いたものだけが得られる食べ物がある
それを与えられて困る必要はないし
一緒に働いている感覚がないのは
あなたが働いている自覚がないからだと
教えて下さいました

イエスさまは一緒に働いているのに
こちらは手伝いのつもりでいるから
かみ合っていなかった

与えられた仕事をこなすことというのは
「日々の糧を与えて下さい」という
祈りの答えにある「糧」であるということ

真理を求める人がいて
それを分け与えたときに
救いと解放が起きる

それは サマリヤで真理を求めた女が
イエスさまと出逢ったと人々に伝えたとき
リバイバルが起きた時 イエスさまが
わたしには、あなたがたの知らない食物があります
と 仰った 正にその食物であるということ

その食物を貰って困惑しないように
と 示されたのでした

このことを知る知恵知識を頂けた理由は
2日前の日記 神様からの預かりもの で書いた

「受け取ってそれを祈りで管理しなさい」と
示されたものの故にでした

私が受け取ったいくつかのものの中に
これらのことを理解するために
必要なものが含まれていたのです

祈り求めた答えを 数日後に頂くことは
過去にも何度も経験していることですが

そこに はっきりと明確に
霊的なものの贈与があったこと
更には このことを祈りで管理しなさいという
明確な指示が付随していたこと

それは 私にとって新しい経験でした

しかし その時に私に預けられたものは
神様達との食卓のビジョンで
いつも見ていたものたちでした

なので 彼らが私と一緒に
働いてくれていることは知っていたし
教会の兄弟姉妹からもそのことは
預言的に祈られていたことでした

また 以前あったユースセミナーの講師からは
示唆的にこのことを示されたこともあり
自分では自覚をしていなかったので
??? となったことでもありました

ですが それは神様がなさっていることであり
私には関係ないと思っていたのです

ただただ感謝だなぁ というぐらいにしか
思っていなかったのですが
それは私が主体的に受け取り
管理するべき事柄だったのです

この件について どう向き合い
どう扱うべきかについても既に
預言的に示されていたことにも気付きました

そしてこの「預かりもの」は
ミナの例えにあるものの原資となる
預かりものであるようにも感じます

私は この頂いたものを祈りにより管理し
聖霊さまと一緒にたくさん増やしたいです

本当に 増やすに値する素晴らしいものだからです

これは もしかしたら私に自覚がなかっただけで
既に始まっていたことなのかもしれませんし

或いは彼らは預言的に言ってくれていたので
その時が今だということなのかもしれません

ともあれ 神様から明確に示され
私はそれを受け取りました

神様の仕事が始まるのです
一人でやるのではなく 一緒にするのです

もしこれが 一人でやることだったら
どれほどに虚しいことであるかと思います

一人ではない

そのことに本当に感謝します

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