「自分で出来る」という嘘

子どもには イヤイヤ期というものがあります
何でも自分で選びたい 何でも自分でやりたい
そう思うのだけど 結局は何も出来ません

そうこうしているうちに
ああしなさい こうしなさい
早くしなさいと言われて
癇癪を起こしてしまうのです

この時期 子どもがどうしたいのかに耳を傾け
本人の考えをまとめる手伝いをしたり

手伝いが必要なのか
待って欲しいのかを本人に尋ねたり
大人の事情(今は時間がない等々)を
きちんと伝える

そういったことが為されるか否かで
この頃の体験がトラウマになるか否かが
決まってくるような気がしています

この時に サポートがないと
何でも一人でやらなければいけない
という勘違いで生きることになる

正しいサポートを受けたものは
人に感謝をするものとなる

間違えたサポートを受けたものは
何でも自分でできるという
勘違いをするものとなる

そんな気がしています

実際 人は 守られた空間とサポートがあって
初めて何かを出来るようになります

それがない中で苦しむ人は
神様の救いを見たとき
それが唯一の解決であることが
直感的にわかる

それはそれでとても幸せなことだと思います

神様に主権を委ねることを拒否することは
まるでイヤイヤ期だなと思うのです
しかし 神様は人の心をご覧になる方で
子どもをどのように導けば良いか
とてもよくご存知の方です

人は 神様の主権の中で生きることで
幸せを感じるようにあらかじめ作られました
人以上に人の自由を尊重される神様です

なのに どうして主権を神様に委ねると
不自由になるかのような勘違いをするのか

もし 悪を為す自由を手放したくないと思うなら
神様の義に入ることは窮屈に感じます

もし悪を為したいとどこかで思っているなら
神様の自由には入りたくないのです

この世は 必要のために何かを犠牲にするのは
仕方がないという嘘の教えが支配する世界です

悪を為さなくても幸せになれる
悪を為さずに幸せになる道があります

ですが嘘つきたちは
そんなの虫が良すぎると言い
今までの努力と苦労が無駄になると嘯きます

また 何が義で 何が悪であるかを
思い違いしていても
神の義に入る壁となってしまいます

これらに対する悟りは
頭でしようとしても決して出来ません

ただ 悟りが欲しいと願うものに
神様は手を差し伸べてくださいます

この世に自分の解決はない
その絶望があることは
とても幸いなことです

神様にしか頼れないなら
そのこと自体が 恵み以外の何物でもありません

人の悟りに頼ると滅びに向かう

その事に気付けることは
希望の始まりなのです

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