知恵知識(のことば)の正体

預言をしてもらう時に いつも
「私の思いを超える知恵が覆っている」
という表現をして頂くのですが

そのお陰?か

あなたはもうわかっていると
詳細を預言してもらえないことがあった

ということを書いたことがありますが
神様のみことばに飢え乾く参照)

それがどういうことであるのか
やっと理解することが出来ました

先日りゅうくんに 私とイエスさまは
どんな関係なのか教えて貰って?と
お願いをしました

というのも実は

父なる神様に対しては ちょっと前に
「お父さんではなくパパと呼んでね」
と言われて毎日のように話しかけるようになったのですが

イエスさまは私のビジョンの中ではいつも
忙しそうに何かをされていて
とても声がかけにくかったのです

ちなみにですが

イエスさまのビジョンを初めて
はっきり見たのは 教会で開催される
リーダークラスの時でした

イエスさまが私を背負って
連れて行ってくださった先に神様がいらっしゃり
色々なことを教えてくださるというビジョンでした

その時から 知りたいことがあると何でも
神様に質問をするようになりましたが

ある時 そういえば聖書には
イエスさまを通してでなければ
神様の御前に出ることは出来ないと書いてあるけど
イエスさまに質問するべきなのかな?

と思いました(散々質問して教えて貰っているのに)

ですがイエスさまは
私を通す必要はないよ
神様に直接聴いていいんだよと
仰ってくださいました

その時から 逆にイエスさまに
話しかけにくくなってしまっていたのです

そんなこんなで 神様との関係は親密になったけど
どうも イエスさまとの関係の持ち方がいまいちわからない

と 思っていたのでりゅうくんに
聞いて貰ったのですが

その時に示されたのはこれでした

あなたはわたしをまとっている
わたしは あなたのとなりで 一緒に編み物をするんだよ
それは 目に見えるもの見えないもの 関係なく
それは 着る人 届けた人を温める
あなたのまとっているそれも わたしが編んだもの わたしが紡いだもの
それは あなたを冷えから遠ざけ 刃から守りつつける

なるほどーーーーーーーー

それで気が付いたのですが
私が預言者さんたちからまとっていると言われる
「知恵知識」というのは
イエスさまそのものだということです

正確にはイエスさまが紡ぎ出したものですが
言われてみればイエスさまは言葉だったと
ヨハネの福音書には書いてあります

預言者さんから多くを語って貰えないのは
知恵知識を自分で受けなければならない という
訓練だとばかり思っていたので

その正体がイエス様ご自身であろうとは
想像だにしませんでした

しかも 私は知恵知識の賜物がある人は
知恵知識を誇ってしまうことがある

という話を聞いたことがあったので
知恵知識に頼ることを大変警戒していました

ですがりゅうくんがイエスさまから
受け取ってくれたメッセージはこう続いていました

お花に水を上げたり 庭を散歩したり ゆっくりと過ごす日
賛美を口ずさみながら わたしと愛を語らおう
もっと わたしに甘えておくれ

まるで雅歌のような愛の詩でありますが(汗

これは 知恵知識の源であるイエスさまに
甘えることを促された ということです

私は与えられた知恵知識の扱いを
間違えてしまわないようにと
知恵知識に距離を置いてしまっていたのですが

その源である方に もっともっと
求めて良くて

しかもその源はイエスさまなのだから
私が間違えないようにとか警戒する必要はありません

頭で考えずに 霊に導かれ
与えられた知恵知識をただ流すだけでいい

そう思ったら 与えられる知恵知識との
付き合い方が全く変わりました

例えば以前だったら

AとBどちらにした方が良いでしょうか?
と 選択肢をこちらでいくつか用意して
確認するような尋ね方をすることが殆どでしたが

その選択肢すら準備せずに
促されるまま 流されるままに
行動をしてみたのです

全然違いました

今までも 十分に神様からたくさんの
み恵みと御心を注がれていましたが

言うなれば 純度が全く違いました

何の不純物もない 神様が私に渡したいものが
そのまま入って来るようになったのです

但しこれは

訓練の時が終わったからこその示しであり
訓練が終わったからこのような関係を
イエスさまと持つことが出来たのです

それは 霊の見分けの訓練でした

以前は 自分の思いと全く違うことを
神様から示されると 本当に神様なの???と
警戒して何度も確認をしていました

確認の方法についてもいくつか記事を書いていますが
結果が全てを物語る参照)

知恵知識に対し 斜に構えて
注意深く付き合おうとしたからこそ
見分ける力が付いたのだと思います

そして その訓練の時が終わって
一番大きかったのは

今まで感じたことがないぐらいに
深い平安を感じることが出来たことです

その平安の真ん中には
見たことのないビジョンが存在していたので

これはまだ入り口であり
まだまだ何かあるな と感じていますが

しかし 今まで到達し得なかった領域へと
足を踏み入れたことは間違えないので

まずはそのことを 心から感謝したいと思います

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