賜物の管理

神様が与えられた賜物は
人が間違えた使い方をしたとしても
一度与えられたからには
決して取り上げることはしないそうです

勿論 神様はその人がきちんと
管理出来るようになることを見越して
その賜物を与えられるのだとは思いますが

しかし 賜物を預かるものとして
良き管理者であることについて
意識するに越したことはありません

この話は クリスチャンに対してだけの話ではありません

神様が造られたものには全て
何らかの賜物が与えられます

それは 神様がその人を通して
神様のご性質である愛を
流し出すために用いられるところです

以前 神学校で血潮の祈りは大変
パワフルであるというお話がありました
イエスさまの血潮の守り参照)

このお話を聞いてから うちでは
家のリーダーであるりゅうくんが
毎朝 血潮の祈りをすることになりました

それも 家だけではなく 私たちが
普段行き来する地域についても祈っています

私たちが行く全てのところが
神様の御国となるように祈っているのです

ですが りゅうくんがたまに
血潮の祈りを忘れることがあります

そしてそういう日には決まって
霊的におかしなことが起きました

具体的に言うと 外から
男女が喧嘩する声が聞こえてきたり

フードコートでたまたま座った席の近くで
家族のことを罵る声が聞こえてきたりするのです

ですがこれは 私自身の問題です

私は幼い頃 家の中で大人がいつも
誰かしら喧嘩をしている中で育ちました

大人たちが仲が悪かったことで
私の人生は大変傷付けられました

そのせいだと思いますが
家族を罵る言葉を他人事として
聞き流すことが出来ません

耳に入るだけでものすごい
精神的なダメージを受けるのです

霊的な守りの外に出る時
それらの霊が私の範囲に入って来るのです

それを普段はりゅうくんの祈りで
守ってもらっているのです

ですが 最近は私も強められてきました

先日 りゅうくんと一緒にフードコートにいた時
りゅうくんがお手洗いのため席を立った途端に
少し離れた席の女性が 突然
家族の悪口を大声で言い始めました

(後でわかったことですが この日も
りゅうくんが祈りを忘れていました)

その前日に 神様から「議論に巻き込まれないで」と
示されていたので 自分の中に湧く思いを
一切捨てて 神様に祈り

そして(りゅうくんに頼らずに)
イエスさまの血潮の祈りをしました

すると その女性は急にテンションが下がり
声を荒げることを止めたのです
(小さくぶつぶつは言い続けていましたが)

正に これが霊的な影響であり攻撃です

本人も なぜ突然怒りが爆発したのか
わかっていないはずです

私は そういった攻撃に対して
一切妥協をせず イエスさまの血潮で
去るように命じる必要があります

ですが 自分自身のトラウマと
結びついたところであるため
りゅうくんの助けはとても大きいです

私はそのことを 今まで単純に
家における私の霊的カバー(リーダー)が
りゅうくんだから ということだと
思っていました

ですが今日 りゅうくんと話をしていて
それだけではない と感じました

りゅうくん自身が 自然な賜物
霊的な恵みとして「守り」を持っているのです

そのことを感じてりゅうくんに言うと
以前 預言をして貰ったときに
神様から特別に守られていたことを
示されたそうです

そうか 持っているものだから流せるんだ

ということに気が付きました

自分が持っているものを
神様に委ね 神様に用いてもらう時に
それは恵みとなって流れていく

与えられた賜物を管理するということは
それを 敵に用いらせないようにすることや
自分の栄光のために使わないように
管理をする必要があります

私には 知恵知識の賜物があると
多くの人に言われていますが

クリスチャンになる前 私はその賜物を
知らずにこの世で用いてきてしまいました

この事は 本当に私にとって
損であったと痛感しているのですが

しかし今 この賜物を神様に捧げて
用いてもらうことも出来るはずなのです

以前 この事に対してもっと真剣に
祈るように神様から示されていましたが

自分の賜物の故に傷付いた経験から
なかなか祈る気になれずにいたのです

ですが今日 改めて
祈りが足りないな と感じました

もっと用いて もっと流す必要があるのです

それも 神様の御手によって

なので このように祈りました

私たちは 自分の賜物を全て神様に捧げます
どうか 神様が正しく用いてくださいますように

神様が 私たちを良い実を結ぶものとして
用いてくださいますように

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