一昨日の記事(神様との親しい会話のために)で
神様が至急で呼びかけておられるのを
「ふと心に浮かぶ」という形で
きちんとキャッチしているにもかかわらず
気のせいかな?とスルーしてしまうことがある
ということを書きましたが
神様の呼び掛けを見落とさなくなるようになるためには
ある程度 訓練の期間が必要であると感じます
神様からの示しの変化
神様との新しい関係で 我が家における
神様との関係が変わったことを書きましたが
今までは 私が神様から示しを受けて
祈ったり りゅうくんに伝えたりする
という流れだったのが
りゅうくんが神様から示しを受けて
りゅうくんが祈ることで方向性が決まっていく
という流れに変わったので
私自身が今までのように
明確な示しを受けることがなくなりました
とは言え示しが皆無になったのではなく
まず神様はりゅうくんに示されるのですが
スルーされると私の方に示しをくださるので
今までに比べて示されるタイミングが
少し遅れるのです
それも 今までのように「出来事」のために
リアルタイムに示されるのではなく
りゅうくんに教えるために示されるのです
神様が身につけさせたいもの
今日1日でもりゅうくんはかなり
神様からの示しをスルーしてくれて
その都度 りゅうくんが取りこぼした分を
拾うために頭を抱えることになったのですが
最後の最後にやっと 一番の問題に気付きました
それは「祈り」です
思いが与えられた時 即座に祈るという習慣が
まだりゅうくんにないのです
しかし 何故頭を抱えることになったのかと言えば
私自身に りゅうくんを建て上げるという
自覚が薄いせいであったりもします
本音としては 旦那さまにはリードして欲しい
でもまだりゅうくんは 私の弟子ポジションなのです
私が彼を導いていますし
私が教えるのは当然と言えば当然なのですが
でも 私もりゅうくんも自分たちが
師弟関係にあるという自覚は薄いです
そもそもで私が 教師然とするのが
好きじゃないのも大きいわけですが
しかし今日の神様からの語り掛けは
「きちんと教えなさい」でした
これは りゅうくんに対してだけではありません
誰かを導いたり教えたりすることを
半年前ぐらいから示されているのです
完全にコミット出来たのは
ごく最近ではあるのですけど
もし 私がこの示しに対して
目をそらすようなことがあれば それが
「眠っている状態」であると言えます
幸い(?)私自身は示しに対して
真っ向から対峙するタイプなので
神様と格闘になることはあっても
眠ることはないのですが(苦笑
しかしりゅうくんについては
寝てるかな…と思わなくもなく
「示されたら祈るんだよ」と教えても
思い巡らせることだけで終わってしまい
なかなか祈りまでいくことが出来ません
それに対して忍耐強く 神様に尋ねながら
教えなければいけないのです
その時の神様の声が
目を覚ましているように教えなさい
だったのでした^^;
10人の花嫁の例えを知っていながら
油を買い忘れるようではいけないよ
ということです
(マタイの福音書25章1~13節参照)
自分が今 何をするものであるかという
アイデンティティをしっかり掴むまでは
習慣化についてのレクチャーが続くようです…
それも「在り方」というところから です
今のりゅうくんの場合は 祭司という役目を
しっかり掴むことを示されています
聖霊を受けたものは全員
祭司としての任を持っていると
聖書には書かれていますが
祭司というのは 人々の悩みや問題について
神様に祈ったり ご意見を伺う立場でした
なのに祭司が神様にお伺いを立てなくてどうするの
という感じであるわけです
まず 思いが与えられた時に祈る習慣付けと
お祈りの課題を書き出す練習かな と思っています
いつまでも私がお守りをするわけにいかないから
自分で出来るようにしていかないとね…
コメントを投稿するにはログインしてください。