ある人から どうして神様がいるのに
この地はこんなにも悪で満ちていているのか
と 言われたことがあるのですが
それは 地には人が造られる前に
悪魔が存在していたことと
神様が人に自由意志を与えられたことに
由来しています
神様と人との関係
神様は 人に自由意志を与えた他に
律法というルールも与えられました
神様は 始めに人を造られた時
人に善悪の判断が出来る知恵知識を
与えられませんでした
その代わりに「神様との約束」がありました
他の木の実は全て食べて良いが
善悪の判断が出来るようになる木の実だけは
食べてはいけない という約束です
ところが 人は蛇にそそのかされて
その実を食べてしまいました
何が悪いことかを知った彼らは
木の実を食べたことを咎められた時
お互いの罪を擦り付け合い
自分自身を弁護しました
その故に
この地を管理する権威を蛇に盗まれ
祝福の園を追い出され
呪われた地へと旅立つことになったのです
悪魔と人との関係(この世の支配)
悪魔は人が神に似せて美しく造られたことや
この地を管理するよう神が特別に祝福されたので
人を大変妬んでいます
また 全人類がイエスの福音を聞いた時
彼らの終わりの時が来るのを知っているので
人から奪った権威を人に渡すまい
決して人を神の元に帰らせまいという
強い思いを持って私たちを奴隷としています
というか命懸けであるとも言えます
お金の呪い 罪の呪い 地の呪い 血縁の呪いなど
様々な呪いで私たちを縛っています
もし その権威の中で上手くやろうと思ったら
悪魔に協力するしかなくなるわけです
悪いことをする人が力を持つ理由はここにあります
ですが 終わりの時に 悪者たちの財産は
全く無価値なものになることが
聖書にはっきりと書かれています
あぶく銭 悪銭身に付かずという
表現の通りに 悪による力は
全て虚構なのです
神様の御心はこの世…
悪くて力を持った人たちから
忘れ去られた弱者に向けられています
また 神様の御心を追い求める人たちにも
神様は御心を止められています
だから イエスさまがお生まれになった時
当時 学もなく汚れた仕事として
忌み嫌われていた羊飼いたちと
遠方で神様のことを求めて調べていた
博士たちの元に その誕生が告げられたのです
人に備わっている神に似た性質
神様と人との最初の関係に戻ってみましょう
神様は 人に善悪の判断が出来ないようにされて
神様との約束だけを与えられました
このことはとても重要です
今の私たちはルール(法)の下に生きていますが
それは本来 人には理解する力が
与えられていないものだということです
子どもたちを見ればそれはわかります
教えなければ善悪の判断をすることなく
思った通りに行動をします
ですが子どもたちにも 愛情や思い遣りがあり
「そういうことをすると悲しいな」と
諭してあげると善悪の判断をするようになります
やってはいけない ルールだからと言うと
反抗をすることがよくありますが
人には善悪による判断は備わっていなくても
愛で判断する力は備わっているのです
ですが 多くの場合は愛情によらず
理性と刑罰により人を育成しようとします
それこそが 神の愛から人を引き離す
一番良い方法だからなのでしょう
全ての解決を持つ方
この世の奴隷となっている人たちは
悪魔の支配の下でうまく立ち回ることで
良い仕事や収入を得ることが勝者であり
良いと思うこと 正しいと思うことを
優先すれば弱者となると信じています
限りある資源や仕事を
自分の元に確保することに必死です
しかし 神様にとって
物理的な制限は一切ありません
この地 この宇宙の全ては
何もないところから神様が造られました
そして神様に似せて作られた人には
この地の資源を用いて 神様と一緒に
新しいものを生み出す力が与えられています
ですが 悪魔には
新しいものを作る力はありません
だから彼らの支配下にいるなら
全てのものが有限なのです
今 問題が目の前にあるとして
その解決をどこに求めるのかは
とても重要なポイントであると思います
私たちが求める先はどこでしょうか
私たちを憎み 祝福を奪いたい
有限の力しか持たない者なのか
それとも私たちを祝福したい
無限の力をお持ちの方なのか
神様は 人が持つ悪い思いに対して
一切議論する気はありません
それはノアの時に神様ご自身が
人の思いが悪いことを理由に
人を滅ぼすことはしないと誓われたからです
神様は ただ神への愛と信仰の祈りを
求めておられます
どんな思いも環境も状況も
神様への愛と信仰により乗り越えて
本来あなたに管理させるはずである
全ての祝福を受け取って欲しい
それが今日 神様から語られたことでした
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[…] そしてもうひとつ 神様が望むものでも書いた通り […]