今日から2泊3日でりゅうくんが
専門学校の授業の一環で台湾に行っています
バイトが終わったのが0:30過ぎで
帰宅は2時だったのですが
朝5時台の電車だったのでそのまま
徹夜をして出ていきました
りゅうくんが出た後 少しして寝たのですが
起きた時にものすごい不安と体の痛みがありました
と いうより不安になるから
痛みがやってくるわけですが
りゅうくんがいなくても神様がいるのに
我ながら不信仰だなぁ と思いましたが
1日かけてデボーションをしていたところ
これも訓練だから と示されました
神様からの示し
そして 痛みの中にあるものの正体を
神様が示してくださいました
以前書いた思い煩いからの解放の記事の中で
「あなたの優しさに付け入る存在」
という表現をされたことを書きましたが
今でこそ 神様がその存在を
どうにかしてくださるという保証を
頂けましたが
過去には 付け入られることを避けるため
付け入ろうとする存在に対しては
徹底的に拒否をすることをしてきました
そのことが 夢での癒しの中で
自分で考えて自分で決めて
作っていた人格だと思っていたもの
であったのです
付け入られるというのは
悪用されるということです
多くの場合は 自分の利益のために
私を悪者にしようとする態度です
良い意味で活かされるのであれば
自分を守る必要はないし
拒否する必要もありませんが
しかし悪用されることについて
ましてや全くその気がない私を
無理にでも巻き込んで
悪者にしようとするのであれば
拒絶をするしかありませんでした
…例えて言うなら
不正をお願いされてNoと言ったときに
情に訴えたり私を悪者扱いすること
相手が間違えたことを信じていて
正しいことを言っている私が
悪いかのように言われる時のことですが
赤の他人で 距離がある人なら
Noと言って終わることもあるでしょうが
身近な人の場合はそれで終わらないことがある
拒絶というのは 自分自身が一番傷付くのです
痛みの奥にある思い
ですが神様は それに対して
全てを委ねるように言ってくださいました
あなたはそれを自分の重荷だと思わなくて良いし
思い悩む自分を変える必要もないあなたの優しさに付け入ってくる存在の
取り扱いはわたしが全てやってあげるから
私は 神様に守られています
そのことはよくわかっています
だから
私が優しいから 悪いことは全部背負わせればいい
そのような態度でいた人たちは
自らの悪で自滅していきました
私はそれが悲しかったのです
その悲しむ自分を 変えたかったけれど
神様はそのままで良いと仰った
自分自身をそのままに ただ
神様に委ねればいいと仰ってくださいました
悪から自分の身を救えるようになるには
何が善で 何が悪かを学ぶしかありません
悪いことをしている人を見て
あのように美味しい思いをしたい
協力してくれないか
そんなことを言う人がもう二度と
自分の人生に現れないことを
心から祈ると共に
神様に期待をして神様により頼めば
悪いことをするよりももっともっと
素晴らしいものが手に入ることを
悪いことをしなければ
幸せになれないと思っている人が
きちんと 知ることが出来ますように
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