勝利の中に留まる

昨日は神学校の授業の一環で
りゅうくんがメッセージをしました

バイトが終わる時間が結構ぎりぎりで
乗り換えをして教会最寄駅まで電車で移動するか
乗り換えなしでちょっと離れた駅に行き
教会まで走るか というところから

神様にきちんと聞いて決めるのよー
とだけ言って送り出しましたが

最初から最後まで きちんと
神様の御手の中で無事
メッセージをすることが出来たようです

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口を守ることの大切さ

草書とはかなり違う内容になった
と 本人は言っていましたが

後から あれは言って正解だった
これは言わなくて正解だった と
神様と答え合わせをしていたので
そういう意味でも良かったみたいです

事前に これは言いたいと思っていたことも
いざ人前に出れば不要なこともある

その必要 不要の判断は
神様に委ねれば大丈夫なのです

聖書にも 舌を守ることの大切さについて
様々な箇所に幾度となく書かれていますが

神に似せて作られた人は
唯一言葉を自由に使うことが出来る生物です

そして 神様は言葉により
この世界を創造されました

言葉というのは 人が思う以上に
大変な力があり

祝福も呪いも 言葉によるのです

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以前 肉の欲と霊の命という記事で

敵が大活躍中のこの時代 聖書に
「こういうことをすると呪われるよ」と
書いていることをやると 例えクリスチャンでも
あっという間にやられてしまうよ

ということを書いたのですが

ヤコブの手紙にはこのような戒めがあります

ヤコブの手紙3章2節
私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。
もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、
からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。

普通の人が完全になることはあり得ません
と いうことは 祈りで完全であれるように
自分の口を守ってもらえるように
神様にお願いをする必要がある ということです

神様が求められること

ということで私はよく 人と会う前や
大切なことを話す機会がある時には

必要なことは全て話され 不要なことは
一切話されませんように

という祈りをするのですが

何故かりゅうくんが講壇でその祈りをしたら
笑いが取れていたんですけど…w

恐らく 本気で必死に祈っている様子が
面白かったんだと思いますけど

人と話すや人前で話すことに慣れていないので
本当に必死だったのだろうと思います

とは言え

実は神様は こういう特別な時だけではなく
普段から必死に祈って欲しいと思われています

しかし窮地に立たされないと
なかなか真剣に祈らない人も多いです

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とある牧師さんが 自分の教会で話すよりも
外で講演する機会の方が多くあり

神様からそれが何故かわかるか?と
尋ねられたことがあるそうですが

自分の教会で話すよりも
外で話す時の方が必死に祈るからだ

と 言われてしまったと
告白していらっしゃいました

実は神様は

上手に出来ることが重要だから
上手く話せますように!という祈りを
聞いてくださるのではありません

神様に頼り 熱心に求めたから
願いを叶えてくださるのです

慣れて上手に話せるようになり
祈る熱が冷めてしまった状態で
神様のことを語るなんていうことは
神様としてはやってほしくないわけです

神様に飢え乾き 慕い求め 祈り
今 目の前にいらっしゃる神様が
今 目の前にいる人に自分を通して
何を伝えたいのか

それを真剣に求める その祈りを
神様は喜んで下さるので

結果として 苦手領域であるとか
弱いところにこそ神様は
現れてくださるのだと思います

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神様の目線

そんなわけで 神様は昨夜帰ってきてから
食事をどうしましょうか?と祈っていたら
「祝宴」と答えてくださいました

本人は何の祝宴だろう?と言っていましたけど
勿論 苦手領域で神様のことを
初めて伝えることが出来たことに対する祝宴です

神様は 私たちには小さなことに
感じるようなことでも
すぐに祝宴だと言ってくださいます

でも 考えてみれば

自分の幼子が 初めて幼稚園のお遊戯会で
発表が出来たとなればお祝いなんですよね

喜びと感謝を祝宴で表すことは
神様の御心です

成長を共に喜んでくださることに
本当に感謝します♡

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勝利を掴む

りゅうくんがこの体験で神様との距離を
より一層縮めたことも関係あるかもしれませんが

今日は 神様からもう一段深いレベルで
祈るようにと促されました

それは 上述の呪いの話と関係がある祈りでした

神様は私たちを贖い完全に勝利されているのに
何故祈りが必要なのか ということなのですけど

実は 敵が一生懸命私たちの足を引っ張ろうと
神様に訴え続けているからなのです

それはイエスさまの発言から読み取ることが出来ます

ルカの福音書22章31節
シモン、シモン。見なさい。
サタンが、あなたがたを麦のように
ふるいにかけることを願って聞き届けられました。

その様子は 肉の敵である祭司たちからも
読み取ることが出来ます

イエスさまは何も罪を犯さず
敵にも1つも隙を与えませんでしたが
それでも祭司たちは偽の証言者を立たせ
イエスさまを罪に定めようと躍起になりました

そのように 敵はいつでも私たちを
神様から引き離し 無力なものにしようと
いきり立っているのです

敵は 私たちの発言や心や行い 行動を見て
揚げ足を取るかのように神様に訴えています

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私たちは敵以上に神に祈り求め
敵の願いが聞き届けられないように
生活していかなければならない

ですから私たちには神様の平安が必要です

平安の中で 罪の贖いと神様の勝利を
宣言し 自分自身が神様の御翼の中に
隠されていることを
朝に夕に宣言し続ける必要があるのです

ダビデとイエスさまに学ぶ

そのお手本とも言えるのがダビデの
詩篇における様々な叫びです

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預言者から王になることを示された身でありながら
現王から命を狙われ 荒野を逃げなければならない

自分が失敗したと思ったときは必死に悔い改め
敵に足をすくわれないように
聖めてもらえるよう必死に懇願しています

敵に囲まれている時
御心から逸れることはそのまま
自分の命にかかわる恐怖です

ダビデは正にそのような中を生きました

私たちは肉の目ではそんなにも
追い詰められて生きる人は少ないでしょうが

霊の目で見れば 敵はいつでも
不安や恐れの種を投げ入れようと
隙を伺っていますし

悔い改めを忘れているような罪を見つけては
敵は神様に訴え続けている

ですが 神様は確かに私たちを選び
養子として迎え入れて
全ての罪の身代わりとなって
死んでくださいました

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そのことを日々告白し
救われたことを喜ぶこと
二度と罪に戻らないこと
喜んで罪の贖いをすることを

神様は良しとされ
そして敵は嫌がります

今日 神様に示されたことはいくつかありましたが
その中で特に重要だと思ったことはこの2つです

ひとつは あなたの負債は全て
養父となった神ご自身が背負うことを
神ご自身が決められたと 敵に向かい宣言しなさい

ということと

敵を祝福しなさい ということでした

敵を祝福することについては
同時にこの聖句を示されました

マタイの福音書10章12-13節
その家にはいるときには、平安を祈るあいさつをしなさい。
その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、
もし、ふさわしい家でないなら、その平安は
あなたがたのところに返って来ます。

詩篇において ダビデは敵が滅びることを
願うことをたくさん書いていますが

イエスさまが現れた後の今の時代は
祝福により戦いなさい と示されたように思います

平安の祈り 平安を運ぶものの記事中に書いた
シャローム ですね

自分自身が平安でなければ
とても敵のことを祈ることは出来ません

自分自身が平安に相応しい
生き方が出来るように祈りましょう

テサロニケ人への手紙第一5章16-18
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神が
あなたがたに望んでおられることです。

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