今日は 自分の思わぬ弱点に
気付かされる日となりました
当然のことながら
今の自分になるまでには
様々な経験をしています
気質自体は 子どもの頃から
全く変わっていないように思いますが
その気質でもって様々な出来事にぶつかり
その経験が 物事を判断する
自分自身の土台となっていきますが
「判断」これが自由な発想を妨げる
ジャッジ(場合によっては裁き)の
癖となってしまっているのです
弱さの根
判断基準は自分自身の気質なので
自分の気質+出来事=判断基準
という図式が出来上がります
これは自分自身に縛られている とも言えます
クリスチャンになり
イエスさまにより自由を手に入れ
自分自身の発想の地境を広げたいと思うなら
自分自身の気質というものを
折らなければなりません
特に 弱いところについては
完全に明け渡し 神様に栄光を
現して頂く必要がある
弱いところというのは大抵
その弱さを覆い隠すための
仮面を付けてしまっています
子どもの頃なら 怖いと思ったら
泣いたり攻撃したり逃げたりと
素直な防御反応が出たことでしょう
弱さは守るのではなく誇るところ
その時に もし神様との関係が
出来ているなら
神様が 大丈夫 私が一緒にいると
共に乗り越えてくれることを
体験することが出来たはずです
しかし 神様を知らずにいた時には
間違えた対処をしてしまうことが
多々あるわけです
特に弱いところに関しては
神様に頼るよりも 自分が身に着けてしまった
防御の方法に頼ってしまうことが多くなる
ですが 以前書いたことがありますけど
弱さというのは神様に明け渡して
神様に栄光を現して頂くことが出来る
とても素晴らしい「素地」なのです
第二コリント人への手紙12章9-10節
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、
わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。
ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、
むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に
甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
自分の弱点
防御をしている時というのは
神に頼らず自分自身の方法に頼っている時です
そして その防衛が外に向けば攻撃となります
今日 私が気付いた思わぬ弱点というのは
弱い人が突然思わぬ攻撃をしてきた時に
上手く対応が出来ない ということでした
それは 相手の弱さがわかるからです
相手がなぜそういう行動に出るのか
理解は出来るのです
しかしそれは大変理不尽で 周囲を傷つけます
もし良い親がいる環境下で
子どもが怖がって泣いて暴れているのであれば
親が止めてくれるかもしれません(殴られつつ…
しかし 大人になってもそれをやっている人を
どう受け止めればいいのか全くわからないのです
弱点への間違えた対応
わからないし 理不尽なので
基本 私は避けてしまいます
でも 避けられない人もいるのです
そして最近の私が唯一「悩んでしまう」のが
もろに被害を被ってしまう人が
疲弊していくのを見ても
どうにも出来ないことなのです
何故唯一なのかというと
大抵のことは神様に委ねるのに
この件だけ何故か それが出来なかったのです
許すことも出来なければ
祈ることも出来ない
それで気が付いたのですが
私は 身近な人がゴミを投げ捨てたら
きちんとしなさいと教えることはしても
本人が目の前にいる時は
代わりに自分で拾って捨てることは
決してしないタイプだったのです
本人がいない時に気付いた時は捨てますが
本人がいるなら絶対に本人にやらせます
そして拾った後に必ず本人に注意をします
外で同じことをやるようなら
本人が恥をかくことですから
徹底的に言い続けます
自分のこの「こだわり」が
自分を不自由にしているのだな
と いうことに気が付きました
神様が変えたかったこと
私は長く この件について
自分を変えてくださいと祈っていましたが
結論 その祈りは聴いてくださいませんでした(苦笑
気質自体は変える必要がなく
自分でジャッジをする前に
きちんと神様に委ねる方向へと
促されました
自分の判断で使うのではなく
神様に用いて頂くように ということです
しかし実はこれ
クリスチャンになってすぐの頃は
きちんと委ねることが出来ていたのです
なんで最近は出来なくなっていたのだろう?
と思いましたが
以前は 避けて安全な場所で遠くから
祈っていたことに気付きました
安全な場所で自分が守られている状態で
祈っていたのです
目の前 大変身近なところで起きた場合
冷静に対処出来なくなっていただけでした
正に 自分の弱さを痛感した出来事でしたが
逆を言うと その体験が出来るほどには
成長したということかもしれません
そして面白かったのが
自分がそのことに気付いた時に
バイトから返ってきたりゅうくんが
「自分の思い込みで制限かけてたことに
気付いたんだよー」と言ってきたことです
自分が変われば人が変わる
こういったことは同時進行で
起こるものだとは感じていましたけど
今回はもしかしたら
りゅうくんが気付いたことの恩恵を
私が受けたのかもしれませんね
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